2018年(平成30年)9月17日早朝、関西空港へ無事に到着しました。( ◠‿◠ )
このたびの出張ではもともと17日に帰国予定でしたが、台風21号の影響により、当初計画していたオランダ航空ではなく、ルフトハンザ航空で帰国することとなりました。
出発予定日(9月7日)の前日である9月6日の昼頃に、出張予定を成立させる振替便がなく、航空券をゼロから探さなければならない状況になったことはすでに書きました。
なんとかリスボンにたどり着きました。:みたま山宗三郎のブログ
このときの顛末を少し詳しく述べると次のとおりです。
まず、当初費用のプラス18万円程度で往路をブリティッシュエアウェイズの便でリスボンに行くという案を真剣に検討しました。残り2席で、検討中に、消えたり、再度現れたりしましたが、決心した時には、もう現れることはありませんでした。
次に目に入ったのは、ここぞとばかりにふっかけられた高額な航空券の数々。プラス40万円未満はちらほらあるもののすぐに消えていき、プラス40万円程度が安定した最低で、プラス80万円あたりが中間値、プラス100万円オーバーもたくさんありました。しかも、必ずしも出張予定通りでなく、1日遅れ、2日遅れで現地に到着するという具合です。
往路のみ、往復、周遊、様々検討した結果、4回乗り継ぎ、エチオピア経由で計画の2日遅れの9月9日にリスボンへ到着する便を採用しかけました。当初費用にプラス11万円程度だったと思います。この便は、少し余裕があるというか、他の航空券がどんどん消えていく中で比較的安定していたので、少し頭を冷やすことにしました。
そして、アフリカ経由も味わい深いと思い直し、いよいよこの便(エチオピア経由)に決めようという時、ピョコンと新しい選択肢が登場しました。それが今回利用した便です。
往路は、
羽田→バンコク→ニューデリー→ウィーン→リスボン
という比較的ハードな経路で、実際スーツケースが24時間程度行方不明になりました。
復路は、
リスボン→アムステルダム(ハーグで用務)
アムステルダム→フランクフルト→関西
というものでした。
関空が閉鎖されており、国際線の再開の見通しが立っていない9月6日の時点で、復路が関西空港着になっていたのです。
これには、二つの優れた英断があったと推察されます。
一つ目は、9月17日には我が国の関西空港が再開されているだろうという一種の信頼を前提として路線設定を決めたこと。
二つ目は、他の航空会社から締め出された旅客を吸収するため機体の大型化を決めたこと。この推察が当たったのか、もともとそうだったのかはわかりませんが、フランクフルト→関空の帰路便は、二階建てのボーイング747-400が使用されていました。
当初利用予定であったオランダ航空もこういう意思決定をすべきだったと思いました。というのは、5日晩まで「定刻通り」と表示しておきながら、6日朝になって、「欠航」とし、同日朝8時に電話した時点で、「旅行会社経由ならば成田便に振替る」と述べているのですから、状況は理解できるはずで、つまり、成田空港便を大型化して関西空港便の旅客を吸収しておけば、(自宅等から成田までの交通費の問題はあるとしても)旅客にとっては概ね全て旅行予定通りとなり、航空会社にとっては収益も確保できたはずだからです。
オランダ航空は、今回のこと自体では、収益にそれほど影響はなかったと思われます。しかし、空港閉鎖時の対応力への信頼は失われたため、将来航空券を予約する際には、旅客は一歩引いてオランダ航空を検討すると考えられます。
これに対して、ルフトハンザ航空は、迅速に合理的な意思決定を行ったといえ、今回のこと自体でも、他の航空会社から溢れた旅客を吸収したことによる増収が見込まれ、空港閉鎖時の対応力への信頼も獲得するという二重の勝利を収めたといえます。
posted by みたま山宗三郎 at 19:11|
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